医学の歴史(2):東回りの医学「東洋医学」【いこい通信No.50】

前回は「西洋医学」の歴史をお伝えしました。

西と東。移動した先の環境に応じて考え方や優先すべき事柄が違っただけで、どちらの医学も「病に苦しむ人を救いたい」という他者への思いやりが原点にあります。

今回はそんな「東回りの医学」こと「東洋医学」についてご紹介したいと思います。

東回りの医学(東洋医学)

東回りの医学は、アラビア半島からインドを経由してチベット山脈(8千メートル級のヒマラヤ山脈)を越え、タクラマカン砂漠に出て、中国へ渡りました。

中国で「中国医学」となった東回りの医学は、インドの仏教の経典と共に日本に伝来します。

こうしてみるとかなり険しい道のりを歩んできたことが分かります。灼熱と極寒という厳しい自然環境の中で生き残るため、慢性病の予防と治療、養生訓、自分自身を鍛える精神医学が発展しました。

薬草としては草根木皮が使われています。

日本の医学の変遷

古代日本における医学は主に加持祈祷と、経験に基づいた自然由来の生薬でした。

そこに「中国医学」が伝来します。日本の風土や気候、日本人の体質に合わせた結果、日本の医学と混ざり合って、中国医学は独自の発展を遂げました。

江戸時代中期に蘭方医学が入ってくると、日本独自の中国医学は「漢方医学」という名称になり、区別されるようになります。(それまではただ「医学」と呼ばれていました)

蘭方医学とは、オランダを経由して伝わった西洋医学のことです。生体のバランスや全身の所見から病状を把握し、生薬を調合する「漢方医学」に対し、解剖学に基づいた外科手術や病気の原因を追究するのが「蘭方医学」でした。

蘭方医学は普及しますが、漢方医学が主流であることに変わりはありませんでした。

ところが、明治維新をきっかけに日本の医学は一変します。

当時の日本は富国強兵を掲げており、戦傷や感染症に特化した西洋医学を取り入れる必要がありました。政府はドイツ医学を中心とした医学制度を整え、漢方をはじめとした従来の医学をすべて医療類似行為とみなすようになります。

ちなみに「西洋医学」「東洋医学」という言葉ができたのは明治時代以降だと言われています。今から120年ほど前のことですね。

第二次世界大戦後、敗戦国である日本はドイツ医学ではなくアメリカ医学(薬で症状を抑える薬物療法。対症療法とも言う)を取り入れました。

そして現在に至ります。

まとめ

東回りの医学(東洋医学)

  • 経路:アラビア半島→インド→チベット山脈→タクラマカン砂漠→中国→日本
  • 背景:厳しい自然環境
  • 内容:慢性病の予防と治療、養生訓、自分自身を鍛える精神医学
  • 変化:中国医学は日本で独自の発展を遂げ、漢方医学となる

宮川