医学の歴史(3):「健康」はいつ生まれたのか?【いこい通信No.51】

日頃何気なく使っている『健康』という言葉。この言葉がいつできたのか、皆さんはご存じですか?
お恥ずかしながら、私はつい最近まで知りませんでした。

今回は『健康』という言葉の歴史についてご紹介したいと思います。

江戸時代

ことの始まりは、江戸時代。

長崎出島のオランダ人医師から蘭学(蘭方医学)が日本に伝わりました。

蘭学とは、オランダ語で西洋医学や化学などの自然科学を学ぶ学問です。漢方医学が主流だった当時の日本にとって、解剖学などの西洋医学の概念はまったく新しいものでした。

ただ困ったことにその概念に対応する日本語がありませんでした。そこで日本の蘭学者たちは、蘭和辞書もない手探り状態の中でオランダ医学書の翻訳と新語の創案に精力を注ぎました。

そうして出来上がったのが、かの有名な『解体新書』です。

オランダ語の翻訳書概要
『解体新書』日本初の西洋医学解剖書。1774年出版。著者は杉田玄白ら。
『ハルマ和解』日本初の蘭和辞書。1796年出版。著者は稲村三伯ら。
新語の創案概要
『神経』杉田玄白すぎたげんぱく(※1)が創案。
それまで「髄筋」と呼ばれていたものを、玄白は「神気」と「経脈」の一文字ずつをとって『神経』と名付けた。
『膵臓』宇田川玄真うだがわげんしん(※2)が創案。
玄白は「大機里爾キリイル」と呼んだが、のちに玄真が『膵臓』と名付けた。
『鎖骨』宇田川玄真が創案。
玄白は「欠盆骨けつぼんこつ」と呼んだが、のちに玄真が『鎖骨』と名付けた。
※1 杉田玄白:江戸時代中期の蘭学医。『解体新書』の出版だけでなく、蘭学の普及と後進の育成に貢献した。
※2 宇田川玄真:江戸時代後期の蘭学者。『ハルマ和解』の編纂にも参加している。杉田玄白の養子となったが身持ちの悪さから離縁され、宇田川家の養子となった。西洋医学の概念を適切な新語にすることが得意だった。

健康』という言葉はこの時代に創られました。

創案者は緒方洪庵おがたこうあんです。彼は江戸時代後期の蘭学者で、宇田川玄真の孫弟子にあたる人物です。

1835年に玄真が亡くなると、洪庵は玄真の仕事を引き継ぎ『病学通論』を完成させます。その過程で洪庵は『健康』という言葉を使い始めました。

オランダ語の翻訳書概要
『病学通論』日本初の病理学書。1857年出版。著者は緒方洪庵。

しかし当時、解剖学や生理学を知っているのは蘭学者のみでしたので、『健康』は高度な医学専門用語という位置付けでした。一般大衆が使っていた言葉は「丈夫」や「健やか」です。

西洋医学は客観性を重視する学問であるため、主観的な判断で用いられる「丈夫」や「健やか」では西洋医学の概念を言い表せませんでした。だから『健康』という言葉を創り、区別する必要があったのです。

ここで言う『健康』とは身体内部を診察し、すべてが異常ではない状態を意味します。

ちなみに『健康』が創案される前は、他の蘭学者たちによって「強壮」「壮健」「康健」「健旺」「健運」などの語が複数使われている状態でした。

次回

『健康』という言葉と概念が一般に広まったのは明治時代です。江戸時代末期までは一部の者しか知らない専門用語のままでした。

『健康』が定着した背景には旧1万円札の人「福沢諭吉ふくざわゆきちの影響があります。

次回は明治時代の『健康』についてご紹介したいと思います。

宮川